鞍馬口駅を降りて室町通りへ一本入ったところにある『喫茶 フランジパニ』さん。
開放的な日本家屋で、静かに自分の時間が過ごせる喫茶です。ある行きつけのお店にショップカードが置いてあって、ずっと行きたかったところです。私の生活スタイルとお店の曜日と営業時間の関係で行きたくとも幻のお店だったのですが、念願叶って、今回初めての訪問です。
この障子戸、よく観光雑誌に載っていますが、実際に見ると柔らかな光を感じることができ、小庭も眺めることができ、フランジパニならではの癒しアイテムです。
この小上がりスペースは、違い棚や床の間もあって、テーブル席とは違った特別感を感じられました。生けられた季節のお花がとても素敵です。
ケークサレをいただきましたよ。
(ケークサレ・・・フランスの家庭料理で、軽いお食事のような焼き菓子。直訳すると、塩味のケーキ、になりますが、キッシュに並ぶお腹を満たすお料理です。甘いお菓子ではないですが、製菓の専門学校でもキッシュと同じ授業で実習することが多いと思います。)
この看板が目印!
さて、ここから徒歩5分の『御霊神社』へ向かいます。
参詣道がこちら。鳥居が見えますね。
ちなみに、寺町通りにある下御霊神社と区別するために、『上御霊神社』と呼ばれ、かみごりょうさん、と近所の住民から呼ばれているそうです。
御霊神社、あまり観光スポットとは言い難いですが、京都においてかなり重要なスポットです。
奈良時代、政治の体制を立て直そうと、桓武天皇は遷都を決意。長岡京に都を移したころ、忠実な幕僚藤原種継が暗殺され、この陰謀を企んだとされる大伴一族と早良親王が捕えられ、無実を訴えるも、桓武天皇は実の弟、早良親王を幽閉、幽閉先で餓死してもなお、亡骸を淡路島へ島流ししたのです。
恐るべき桓武天皇。
その後も生母の死、后の死、大雨洪水、流行病が続き、和気清麻呂の助言のもと、体制の立て直しのため、吉と出た平安京に遷都。
もともとこの辺りに土着していた出雲氏の氏寺を、桓武天皇が平安京の鎮護社とし、早良親王の怨霊を鎮めるために創祀したとされます。
天皇家からの信仰厚く、明治までは、皇室に御子が生まれるとお参りに来ていたそう。
敷地内の、御霊の杜は応仁の乱勃発地!
畠山氏の家督争いはここから始まったのです。なんてこった!!!
多くの人民を巻き込み、京の町が荒廃してしまった応仁の乱。
桓武天皇は都の鎮護をここに置いたのにここから争いが始まるって、
なんという皮肉なことでしょう!
ちなみに、獅子・狛犬さん方なのですが、元々は宮中の天皇の守護獣とされ、中国では両側に同じものが並びますが、日本(特に平安時代以降)では、獅子と狛犬が阿吽の形で配置されます。
左側が、口を閉じた角ありの狛犬、
右側が、口を開けた角なしの獅子、
が見られます。近代になるとその辺りあやふやなまま石職人さんが造ってしまっているものもあるので、ここまで歴史が古いと獅子・狛犬さんもみどころですよ。
鞍馬口周辺でした。
(ややこしいですけども、鞍馬寺へお越しの方は、ここで下車せずに、終点国際会館で下車、叡山電鉄に乗り換えて下さいね。)